「いちばん最初に好きになったのがフィッシュマンズ。彼女にふられて、死のうか、って思ったときに(笑)。友達に『まだまだ大丈夫だよ』って、そのときに初めて聴いたのが『Walkin'』でした。99年くらい。佐藤伸治が死んだ後に。でも、フィッシュマンズが活動してるときにもう好きだった人もいて、その人と友達らが、フィッシュマンズがなくなって悲しいから、どうしよう、とか思って、フィッシュマンズ好きな人を集めるオンラインコミュニティを作ろう、って」
韓国取材旅行中にたまたま立ち寄ってみたカフェ空中キャンプには5、6人のスタッフがいた。
ぼくは、それまでフィッシュマンズも聴いたことなかったし、まったく興味もなかった。
なんとなく名前だけ記憶してたその店に、それこそなんとなくヒマ潰しで入ったにすぎなかった。
そのなかで明らかにひとり大人、というか、背丈もひとり大きいマッシュルームヘアの男性がいて、その彼がぼくの質問に答えてくれたのだった。
カフェ空中キャンプのスタッフには日本語がうまい人が多い。
それは、フィッシュマンズの歌詞が知りたくて、そこから憶えたものらしい。
00年1月に作られたコミュニティサイト<空中キャンプ>が母体となって、03年11月にオフライン空間で新しい文化創出と共同の幸福増進のためにオープンした、というのがこの店のヒストリーだった。
「最初にフィッシュマンズを聴いたときはmp3でした。音楽は映画よりももっとダメ。だからラジオ放送もできなかった。03か04年に、ラジオで日本の音楽がOKになったけど、TVはダメ。その前もアンダーグラウンドカフェとかではビデオを観ることはできたけど、法律的にはダメだった」
90年代の西東京にありそうな、品揃えの怪しい渋谷系ショップみたいなカフェ空中キャンプの雰囲気に、ぼくはすっかり一息ついていたのだが、ここはやっぱり韓国だった。
日本のサブカルチャーやポップカルチャーの意味するものが、ぼくが了解してることとはかなり違い、“日本の音楽を聴く”ということは、なんらかの「態度」であって、それは間違いなく政治に接近していくことでもあった。
彼らは韓国内のインディペンデントな音楽を積極的に聴いてもいる。
しかし韓国内のインディペンデントな音楽は、ぼくたちが想像する以上に小さな運動で、昔も今もバンド活動だけでは生活をすることはできないという。
カフェ空中キャンプで働くスタッフも当然、別のアルバイトをして稼いでいた。親に嘆かれ、会社を辞めてここにきている人もいる。
社会や家族といったサークルを離れて、自分たち主導のコミュニティを作ろうと、ハードな日々を過ごすなかで聴かれ続けるフィッシュマンズというリアリティ。
「ぼくたちが生きている間は、好きなことで食べるのは無理だと思います。新しいというか、明るい未来、幸せな世界は、今も幸せなんですけど、難しいと思いますけど。子供の子供の子供の時代にはできるように頑張ります。お金はないけど、ないままで楽しい方法を。あったらいいけど。あってもいいけど。そういうときに、フィッシュマンズがいちばんいいです」
そんな話を聞いてると、もうとにかくフィッシュマンズが聴いてみたくなって、唯一知ってる『MAGIC LOVE』をリクエストしてみたが、スタッフの人たちは、もっと好きな曲があるような笑顔に見えた。
爆音でかかるフィッシュマンズは低音がすごい。
「でも、いつまでできるかわからない」とマッシュルームヘアの男性が言う。
ぼくはお酒を飲んで、売れ残った彼らのグッズを買った。韓国の空中キャンプというスペースを考える。フィッシュマンズってそういうバンドだったのか。
前田毅
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ぼくの学生の頃のような懐かしい風貌の若者達の声や拍手はいつまでも鳴りやまず、しまいにはベースも弾かずに木暮晋也のアコギだけで WALKING IN THE RHYTHMを歌っていた。
深夜1時ごろ、ガラガラの声になってやっとステージからおろしてもらい、そのまま店内で打ち上げになると誰かれとなく握手を求められ、記念写真を撮られ、片言の英語か日本語で話しながら肩を組まれた。
身体ごとぶつかってくる熱さ、 待ちわびていたことを臆することもなく訴える声、それでいて友好的な瞳、涙。
いままで日本では感じたことのない、好意をストレートに表現する人たち。
20年来音楽を演奏してきてこんな体験は初めてのことで、驚きと同時に素直に嬉しかった。
でもなんでこんなに歓迎されるんだろう?
韓国でライブが出来る。
その話が来たことを聞いたときとても簡単に考えていた。
ただライブをやるだけのつもりで4日分の着替えと楽器を持って羽田に向かったのが2010年3月25日。
公演を行うのにいまどきビザを取るなんてちょっと不思議に思ったけど、羽田の端のほうにある小さな国際ターミナルに着いてしまえば外国に行くという気負った雰囲気もなく、いざ飛行機に乗ってしまえば午後に出た便はあっさりと夕方には金浦空港に着いた。
空港のゲートで待っていたのはイ・ビョンホンの壁一面はあろうかというでかい看板、ニッカリとあの白い歯を浮かべている。韓流スターと焼肉などの食べ物でおなじみの国、それがいままで僕の思っていた韓国だった。
はじめてのソウルを満喫しようかな、そのくらい気楽に考えていた。
彼らは空中キャンプを共同経営で作って、毎晩朝まで呑みながら日本の音楽を聞き漁ってくれた。
それはあの店の棚のCDを見ればすぐわかった。
そのうち彼らは日本のアーティストを空中キャンプに呼んでくれるようになって、そのイベントはもう9回も続いているけれど、その経営は軌道に乗ってるとは全く言い難い。
彼らが僕らを呼ぶための飛行機代とホテル代と毎食連れて行ってくれるお店の支払は韓国の安いチケット代と空中キャンプのキャパシティではとても賄えず(為替レートのせいでもあるけど)、あとはコミューンのみんなで赤字を出しあっている。みんなが暮らすための利益は一度も出ていないらしく、もちろん日本のアーティストもギャラ無し。
3月の公演中、彼らのうちのひとり(リーダーかな)のゴくんに「それでいいの?」と尋ねたんだけど笑って好きでやってるんだからそれでいいんだという。それにいずれ日本のアーティストをたくさん呼んで韓国のアーティストも呼んでフェスティバルをやりたいんだとも語ってくれた。
おかねはみんなが出し合えば何とかなる。
そういうわけで、ぼくはこのツアーを考えました。
日本でもこのツアーの公演をすれば少しは渡航の助けになるはず。
また今回は他のバンドやマネージメントの皆にうまく説明できなかったから僕が出ずっぱりで頑張ればいいや、と僕の関係しているバンドが多くなってしまったけど、今後他の日本のアーティストにも賛同してもらって、少しでも多くの機会に韓国で演奏できるように紹介できればもっと韓国のみんなにも日本のアーティストのことを知ってもらえるはず。
そうしたらいずれ、彼らのいうフェスティバルが実現できるかも知れない。
今度は日本でも彼らの紹介してくれるかっこいい韓国のバンドを見られるかも知れない。
そんなの2002年のワールドカップみたいで素敵じゃないですか。
今回のツアーを、なんというかそのための礎にしたいのです。
出来ればこのツアーが毎年続けられるように(10年後には本当のフェスティバルになっているといいな)、日本と韓国両国の皆さんが好きなアーティストのライブを隣の国の友達もあたりまえに見たりできるように、もしこの考えに賛同して下さるかたはどうかこのイベントを見に来てください。それがその手助けになります。
世界のどこにもないただひとつの「空中キャンプ」はソウルにあります。
柏原 譲
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柏原譲は90年代以降の日本のロック、ポップに多大な影響を与えてきたFishmans、Polarisに在籍。
ピアニスト・作曲家の丸山康太郎と共に、2007年夏に “OTOUTA--オトータ / 音詩--”を結成。ほとんど共通点のない異なる背景の2人が、音と詩を巡って新しい音楽を作り出す。
最近ではサポートメンバーに、大野恭子 Kyoko Ono (Vocal, chorus, etc./From waffles)、泉水政輝 Masateru Sensui (Vocal, rap, guitar/From WEEKEND)、脇山広介 Kousuke Wakiyama (Drums, Sampler/From tobaccojuice)を迎え、ライブ活動を行う。
http://otouta.com/
http://www.myspace.com/otouta
http://twitter.com/OTOUTA_official
http://www.ustream.tv/channel/otouta-official?lang=ja_JP
ロッテンハッツ解散後、1994年、真城メグミ、中森泰弘、木暮晋也で結成。
95年にインディ盤『RIDER』リリース。渋谷クアトロワンマンライヴ後、96年にソニーレコードよりシングル『バイバイブルース』でデビュー。
以降3枚のアルバムと数枚のシングルをリリース。
近年はライブ中心に活動、先日の韓国ソウルでの演奏はUSTREAMにて生中継を行なった。
また、メンバーはそれぞれ様々なアーティストの作品やライブに参加中。
2008年夏、茂木欣一(Drums&Vocal)と加藤隆志(Guitar&Vocal)は、新しい音楽を作るべく意気投合しスタジオに入った。その日のうちに多くのモチーフが生まれ手応えを感じた2人は、その後も断続的にスタジオに入ったり、また互いの家を行き来したりしながら自分たちの音楽を模索して行く。
2010年春、初ライブの日程が決定したとき、「やはりあの男を呼ぶしかない!」と柏原譲(Bass)と連絡を取りスタジオ入り。一緒に音を出して数分のうちに正式メンバーとして参加決定。6月12日、京都メトロにて初ライブ敢行。現在、10月のライブに向けて新曲制作&リハーサル中。